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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)1899号 判決 1985年10月28日

原告

鷺嶋隆

鷺嶋悦子

右両名訴訟代理人弁護士

秋山幹男

被告

学校法人順天堂

右代表者理事

東健彦

右訴訟代理人弁護士

高橋勝好

手塚一男

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告鷺嶋隆に対し、金二五七七万六九四九円及び内金二三四三万六九四九円に対する昭和五四年三月二三日から、内金二三四万円に対する昭和五七年二月二六日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を、原告鷺嶋悦子に対し、金二四六七万六九四九円及び内金二二四三万六九四九円に対する昭和五四年三月二三日から、内金二二四万円に対する昭和五七年二月二六日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告鷺嶋隆(以下「原告隆」という。)は、亡鷺嶋哲生(昭和四二年九月一三日生、昭和五四年三月二二日死亡。以下「哲生」という。)の父、原告鷺嶋悦子(以下「原告悦子」という。)は哲生の母であり、原告らは、哲生の死亡により哲生を相続した。

(二) 被告は、順天堂大学医学部付属順天堂医院(以下「被告医院」という。)を設置、運営している。<省略>

三  被告の主張

1  エヴァンス症候群について

(一) 意義

(1) エヴァンス症候群とは、自己免疫性溶血性貧血に血小板減少症(より正確にいえば血小板減少性紫斑病。)が合併した疾患のことである。

(2) このうち自己免疫性溶血性貧血とは、自己の血液中の赤血球に対する抗体が産出されるために、体内における赤血球の崩壊(溶血)が亢進し、造血余力を動員しても赤血球の損耗を補い得なくなつたために起こる貧血である。

自己免疫とは、自己の個体内の常在物質が抗原性を発揮することにより、自己の個体内にそれに対応する抗体が生ずる現象を意味する。そして、この抗原と抗体とが抗原抗体反応を起こすことによつて生ずる疾患が、一般に自己免疫病と呼ばれるものである。この自己免疫病は、生体は自己の体成分に対して抗体を作ることがない、という古典的免疫学の枠を逸脱した組織特異性の強い疾患であり、学問的にも臨床的にも様々な新しくかつ困難な課題をもたらすものである。

自己免疫性溶血性貧血は、このような自己免疫病の代表的な一例にほかならない。

(3) 血小板減少症(血小板減少性紫斑病)は、血液中の血小板が減少し、しばしば皮膚や粘膜に出血紫斑をみ、時に臓器内に出血をみる疾患である。

(4) 自己免疫性溶血性貧血と血小板減少症とは、それぞれ独立の疾患としても存在するが、エヴァンス症候群は、この両者が合併していることを特徴とする疾患である。

エヴァンス症候群は我国においても成人女性に比較的多いとされているが、小児では極めて稀にしかみられないものであり、従来の症例報告数も極めて限られたものにすぎない。厚生省の溶血性貧血調査研究班臨床疫学分科会の昭和四九年における調査によれば、我国における自己免疫性溶血性貧血の発症率は二〇万ないし七二・五万人に一人程度と推定されている。これら自己免疫性溶血性貧血の中でエヴァンス症候群の占める割合が極めて小さいことは周知の事実であるから、このことからしても、エヴァンス症候群が著しく稀な疾患であることは容易に理解しうるところである。

(5) 厚生省は、病因、病態、治療法等が明らかでなく、かつ予後の悪い疾患につき、いわゆる難病対策として、二つの事業を実施している。その一つは、特定の難病につき原因究明と治療方法の確立を目的として行う調査研究であり、溶血性貧血については昭和四九年から、血小板減少性紫斑病については昭和四八年から、それぞれ調査研究班が発足している(昭和五二年以降、両者は再生不良性貧血等をも対象に含めた特発性造血障害調査研究班に統合されて現在に至つている。)。いま一つは、ある特定の疾患の医療費につき国と地方自治体とが公費負担をすることにより行われる治療研究であり、血小板減少性紫斑病は昭和四九年度からこの公費負担の対象となつている。これらの事実からしても、自己免疫性溶血性貧血と血小板減少性紫斑病の合併したエヴァンス症候群は、難病中の難病であることが知られるのである。

(二) 主要症状

エヴァンス症候群の主要症状は、黄疸を伴う後天性溶血性貧血、反復して起きる皮膚及び粘膜出血、大赤血球症、正赤芽球症、網赤血球の増加、赤血球寿命の短縮、血小板減少等である。

(三) 成因

(1) エヴァンス症候群における自己免疫性溶血性貧血は、前記のとおり赤血球に対する自己抗体の産出及びそれによる赤血球の崩壊亢進によるものとされている。他方これに合併する血小板減少症については、右と同様に血小板に対する自己抗体が産出される場合があることは認められているが、血小板減少症がすべて自己抗体による血小板破壊によるものか否かは、必ずしも明らかにされていないし、自己免疫性溶血性貧血と血小板減少との相互関係についても、なお不明な点が少なくない。さらに、自己免疫性溶血性貧血については、感染症、慢性炎症性疾患、免疫不全症、蛋白代謝異常等が病因に関係あるものとされてはいるが、その発生機序は明らかでない。

(2) このように、エヴァンス症候群はもとより、自己免疫性溶血性貧血及び血小板減少症のそれぞれについても、その発生機序は現在もなお不明確なことが多い。

(四) 治療法

(1) 発生機序が十分解明されていないこともあつて、現時点でエヴァンス症候群に対する根治療法は存在しない。

(2) 現在エヴァンス症候群に対してとられている治療法は、自己免疫性溶血性貧血及び血小板減少症のそれぞれに対する治療法でもある副腎皮質ステロイド剤(以下「ステロイド」という。)の投与を中心とするものである。ステロイドは自己免疫の抑制と造血の促進をねらいとして投与されるものである。

(3) これら疾患に対する治療法としては、他に免疫抑制剤や摘脾などもあるが、最も広く用いられかつ最も臨床効果の優れたものはステロイドであり、他の方法はこれに比肩しうるものではない。

(五) 予後

(1) 自己免疫性溶血性貧血だけについても、それが臨床的治癒に至つた症例は稀であり、自己抗体の有無を調べるクームス試験が陰性化しても殆んどの症例で溶血亢進を示唆する異常は長く持続するとされる。

また、厚生省の溶血性貧血調査研究班が昭和五〇年及び五一年に実施した実態調査(平均観察期間五・八六年)によれば、特発性の自己免疫性溶血性貧血一四九例における死亡率は二六・九パーセント(一四九例中三五例死亡)、そのうち男子についての死亡率は四〇パーセント(三五例中一四例死亡)にも上つている。

それ故、自己免疫性溶血性貧血が予後不良の疾患であることは明白である。

(2) さらに右の実態調査の結果、死亡の転帰をとつた特発性自己免疫性溶血性貧血の例においては、血小板数の減少を呈する例が多いことが指摘されている。同じ実態調査で、診断確実な特発性自己免疫性溶血性貧血により死亡したとされる一四例のうち、一〇万/mm3以下の血小板減少を伴つた例は六例で、そのうち二例の死因は出血と関連していたとのことである。

同様のことは外国での報告にもみられ、自己免疫性溶血性貧血に血小板減少が伴つた症例における死亡率が極めて高いことが指摘されている。

以上のような報告例に照してみても、エヴァンス症候群は予後が極めて不良で死亡率の高い疾患であるといえる。<以下、省略>

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二哲生が、昭和四九年一〇月から被告医院内科に通院し、昭和五〇年一二月二四日に花輪ケ丘病院に入院した後、昭和五一年一月六日から同年三月二九日まで被告医院小児科に入院したこと(第一回入院)、右入院時に、担当医師である箕輪医師から、エヴァンス症候群であると診断されたこと、退院後、同年四月から同科に通院し、同年一一月二四日から昭和五二年三月三一日まで同科に入院したこと(第二回入院)、退院後、同科に通院し、昭和五四年三月一三日に同科に入院したこと(第三回入院)及び第三回入院中である同月二二日、エヴァンス症候群による溶血発作が増悪したため脳浮腫による心不全で死亡したこと、はいずれも当事者間に争いがない。

三エヴァンス症候群について

<証拠>によれば、エヴァンス症候群の意義、主要症状、成因、治療法、予後については、被告の主張1のとおりであることが認められ<る。>

四哲生の経過とそれに対する被告医院の治療

<証拠>によれば次の事実が認められ<る。>

1  第一回入院前の経過

(一)  哲生は、昭和四九年一〇月、被告医院に転医した後、自己免疫性溶血性貧血を抑え、増血作用を図るための副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)であるベータメサゾン(リンデロン)三mg/日の内服を開始した。

(二)  昭和四九年一二月に、ベータメサゾンを一mg/日に減量した際に頭痛を訴えたが、右頭痛は、ステロイド増量によつて軽快した。その後は、ベータメサゾン一mg/日を維持量として内服した。

(三)  昭和五〇年一二月咳嗽及び発熱を訴え、急性肺炎という診断で花輪ケ丘病院に入院したが、その後、頭痛、嘔吐、皮膚の黄染が生じたため、被告医院に転院した。

2  第一回入院

(一)  第一回入院時の所見は、別紙入院時所見記載のとおりであり、全身倦怠感が見受けられた。

(二)  第一回入院時の検査成積は、別紙入院時検査成績及び別紙髄液検査成績のとおりであり、血清LDH、総ビリルビン、直接ビリルビンの各値から溶血発作が疑われ、髄液検査の結果からは、著明な脳圧亢進が認められた。

(三)  赤血球寿命のみかけの半減期については、別紙第1図のとおり一二・五日であり、正常の場合(二五ないし三〇日)に比べ著明に短縮していた。

(四)  以上の所見及び検査結果に基づき、哲生は、脳圧亢進を伴つたエヴァンス症候群及び急性気管支炎と診断された。右脳圧亢進症状の原因としては、ウイルスによる急激な溶血発作とステロイド脱落症状とが考えられた。

(五)  第一回入院時の経過と治療の概略は、別紙第2図記載のとおりであり、入院後七回の髄液排除による減圧、ベータメサゾンの増量(六mg/日)、洗浄赤血球及び血小板血漿の輸注等により、全身倦怠感、脳圧亢進といつた症状は改善した。

(六)  その後、ステロイド剤の量を徐々に減量するとともに、副腎皮質ホルモンの分泌促進作用を有するACTH剤を併用して投与した。

3  第二回入院前の通院治療

(一)  第一回退院後は、ベータメサゾン〇・五mg/日の維持量で著明な貧血は認められなかつたが、血小板数は五万/mm3前後で、それ以上は上昇せず、慢性の経過をたどつていた。

(二)  昭和五一年一一月、三七度台の発熱が一、二週間続き、食欲不振、疲れやすい、立つことも座つていることも困難な状態となり、貧血及び黄疸があらわれたため、第二回入院に至つた。

4  第二回入院

(一)  第二回入院時の所見、検査成績は、別紙入院時所見、同入院時検査成績記載のとおりであり、右により急性クライシスを伴うエヴァンス症候群と診断された。

(二)  第二回入院における治療と経過の概要は別紙第2図記載のとおりであり、入院時の溶血発作の症状は、ベータメサゾンの増量(六mg/日)、洗浄赤血球及び血小板血漿の輸注により改善が認められ、その後、ステロイド剤の減量をし、免疫抑制剤であるエンドキサンを併用したが、免疫抑制剤の効果が上がらないため、その後、ベータメサゾンに加え同じくステロイド剤であるハイドロコーチゾンを併用し、更にACTH剤も用いることによつて一応全身状態及び貧血の改善が認められたが、血小板数は上昇しなかつた。

5  第三回入院前の通院治療

(一)  第二回退院後は、ハイドロコーチゾン六〇mg/日及びプレドニゾロン(プレドニン)一五mg/日を維持量とした。

(二)  第三回入院前通院治療における所見は、別紙第三回入院前通院時所見のとおりであり、胸部は心音、呼吸音ともに正常であつた。また、各診療日における投薬は、別紙投薬一覧表のとおりであり、検査成績は、別紙第三回入院前通院時検査成績のとおりである。

(三)  哲生は、昭和五四年三月一三日、発熱、頭痛、嘔吐、全身倦怠感、黄疸及び貧血が認められたため、第三回入院に至つた。

6  第三回入院

(一)  第三回入院時の所見は、別紙入院時所見記載のとおりであり、発熱(三八度)、頭痛、嘔吐、全身倦怠感、黄疸及び貧血が認められ、立つことも座つていることも困難であつたが、コプリック斑、発疹及び出血斑などは認められなかつた。

(二)  第三回入院時の検査成績は、別紙入院時検査成績及び同髄液検査成績記載のとおりであり、血清LDH、総ビリルビン、直接ビリルビンの各値から急激な溶血発作と考えられ、髄液検査の結果から第一回入院時に比較して軽度の脳圧亢進が認められ、また昭和五四年三月二〇日及び二二日の検査で麻疹の抗体価がともに一二八と上昇していることが認められた。

(三)  以上の所見及び検査結果並びに第三回入院前の外来診療時の所見により、被告医院においては、哲生の症状につき、エヴァンス症候群に麻疹あるいは他のウイルス感染が伴つた溶血発作あるいはステロイド脱落症状としての急性脳症、更には麻疹脳炎の初期の可能性をも考慮して診療にあたつた。

(四)  第三回入院における哲生の経過とそれに対する治療は、別紙第3図及び同髄液検査成績のとおりであるが、哲生は昭和五四年三月一七日から昏睡状態となり、前記のとおり同月二二日に心不全のため死亡した。

五哲生のエヴァンス症候群の症状とそれに対する被告医院の治療方針について

<証拠>を総合すれば、次のとおり認められ<る。>

1  哲生のエヴァンス症候群の症状について

(一)  哲生の症状は、抗原抗体反応時に作用して赤血球を破壊する補体系が常に活性化されており、また赤血球に対する自己抗体の有無を示すクームス試験において、常に直接、間接ともに陽性の検査結果がでており、継続的に溶血発作を起こしている状態であつた。

(二)  血清LDH値は、赤血球が破壊されることにより上昇するものとして溶血の強さを示す一つの指標と考えられているものであるが、哲生の場合、溶血発作時には常に血清LDH値が著明に上昇しており、その発作はかなり重いものであつた。

(三)  骨髄においては、赤血球の母細胞である赤茅球系、血小板の母細胞である巨核球が著明に減少しており、赤血球及び血小板の形成が非常に悪く、増血作用に障害を来たしていた。

(四)  厚生省の研究報告においては、自己免疫性溶血性貧血の予後不良の指標として次のものが挙げられているが、哲生の場合は、右指標をすべて満たしており、予後の最も悪い症例の一つであると言うことができる。

(1) 血小板減少症を伴うもの

(2) 間接クームス試験が陽性であるもの

(3) ヘモグロビン値の低下

(4) 血清LDH値が高値であるもの

2  哲生に対する治療方針

(一)  前記のとおり哲生に対する治療は、主としてステロイド剤の投与による溶血発作の抑制という方法に頼らざるを得なかつた。

(二)  ステロイド剤を投与するいわゆるステロイド療法をとつた場合には、その患者は感染症に罹患しやすくなり、哲生の場合、感染症罹患が疑われた第一回入院時のように、感染症罹患により、溶血発作が増悪する危険性があつた。

(三)  従つて、右のような感染症罹患による溶血発作の増悪を避けるためには、哲生を他から隔離した形で治療を施すことが望ましいが、哲生が幼くしてエヴァンス症候群という予後の良くない難病に罹患し、その症状もかなり重篤であつたことから、被告医院では、他から隔離するよりも通常の社会生活を営むなかで治療を施し、感染症罹患の機会をできるだけ少なくし、罹患した場合には適切な処置を執るという在宅通院治療方針をたて、治療にのぞんだ。

六哲生の麻疹罹患の有無と死亡との間の因果関係

1  一般的な麻疹の症状と経過について

<証拠>によれば、次の事実が認められ<る。>

(一)  麻疹の症状は、一般的に、潜伏期(約一〇日間)、カタル期(前駆期、約三、四日間)、発疹期(四日間前後)、回復期に分けられ、その一般的臨床経過等は、別紙第4図のとおりである。

(二)  カタル期においては、発熱が始まり、上気道炎症状(せき、鼻汁、くしやみ)、結膜炎症状(結膜充血、眼脂、羞明)等のカタル症状が現われ、その後、コプリック斑、口腔粘膜の発赤、口蓋部に粘膜疹が現われる。

(三)  発疹期においては、カタル期の熱が一度くらい下降した後、半日くらいのうちに再び高熱が出ると共に、発疹が、耳後部、頸部、前額部に出現し、翌日には顔面、体幹部、上腕に、二日後には四肢末端にまで及び、その間、高熱が続く。カタル症状は一層強くなるが、コプリック斑、粘膜疹は、皮膚発疹の出現と共に消失していく。抗体も発疹期から上昇が始まる。

(四)  以上の症状のうち、カタル症状だけでは、確実に麻疹であると診断することはできないが、コプリック斑、粘膜疹は麻疹に特有のものであり、特に、コプリック斑は麻疹の八、九〇パーセントに見られ、診断上最も重要な症状である。

2  哲生の麻疹罹患の有無について

(一)  哲生が従前麻疹に罹患したことがなく予防接種もしていなかつたことは、当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>によれば、昭和五四年三月一三日第三回入院にあたつて、原告悦子は、それまでの哲生の状態について、金田医師に対して次のとおり説明していることが認められ<る。>

(1) 昭和五四年三月六日、三九度の発熱と眼脂に気づく。

(2) 同月七日、顔面及び口腔に斑点がある。黄疸はない。

(3) 同月九日、口腔粘膜にコプリック斑がある。

(4) 同月一〇日、発疹及び口腔粘膜にコプリック斑があり、軽度の黄疸がある。食欲不振である。

(5) 同月一二日、発疹の消退と頭痛、嘔吐に気づく。顔貌は軽度の苦悶状を呈し、顔色不良で、顔面は軽度の黄疸がある。

(三)  <証拠>によれば、哲生の症状につき、箕輪医師は、昭和五四年三月一〇日の外来診療の際、コプリック斑を認めたところから、麻疹ではないかと判断していたが、第三回入院時には、前記のとおり麻疹の症状が認められなかつたので、被告医院小児科の医局において、哲生が麻疹に罹患していたのかどうかという点が討議の対象とされ、第三回入院時における麻疹抗体価一二八という検査結果についても、それが麻疹罹患によるものか、検査前に投与されていたガンマグロブリンの影響によるものかということが討議の対象とされていたことが認められ<る。>

(四)  しかしながら、<証拠>によれば、ガンマグロブリンの麻疹抗体価は26(六四)であるが血液中では薄められることが認められ、また<証拠>及び前記認定事実によれば、昭和五四年三月二〇日の検査以前の哲生に対するガンマグロブリンの投与は、次のとおりであることが認められる。

(1) 昭和五四年三月一〇日 四ミリリットル

(2) 同月一三日 二グラム

(3) 同月一四日 二グラム

(4) 同月一五日 一グラム

(5) 同月一六日 一グラム

(6) 同月一八日 四グラム

(五)  右事実によれば、前記の麻疹抗体価一二八(27)という検査結果は、それまでに投与されたガンマグロブリンの影響だけによる数値とは言い切れないものであると言うことができる。

(六)  右の点に加え、前記の第三回入院前の外来診察における所見及び第三回入院時における金田医師の原告悦子からの聴取内容を前記の麻疹の一般的症状と総合して検討すると、哲生は第三回入院前に、麻疹に罹患していたものと推認することができる。

3  哲生の麻疹罹患と死亡との間の因果関係について

(一)  哲生が昭和五四年三月二二日、エヴァンス症候群による溶血発作が増悪したため、脳浮腫による心不全で死亡したことが当事者間に争いないことは前記のとおりである。

(二)  <証拠>によれば、感染症に罹患した場合、エヴァンス症候群の溶血発作が増悪する可能性があることが認められ、また前記のとおり、哲生は、感染症に罹患した第一回入院時には、溶血発作の増悪と脳圧亢進を伴う症状を呈していることが認められるのであるから、右の事実及び前記事実に照らせば、第三回入院時の溶血発作の増悪及び脳圧亢進症状は、哲生の麻疹罹患によるものと推認することができる。

(三)  以上によれば、哲生の麻疹罹患と死亡との間には、因果関係が存するものと認めるのが相当である。

七哲生に対する麻疹予防接種実施義務違反の有無について

1  証人箕輪富公の証言によれば、箕輪医師は、哲生の診察を担当している時点で、従前哲生が麻疹に罹患しておらず予防接種もしていなかつたことを知つていたことが認められる。

2  麻疹における予防接種の実効性について

(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 予防接種の評価は、その効果とそれによる副作用とのバランスの上に立つて判断されるべきものである。

(2) 現在麻疹の予防接種に用いられている高度弱毒生ワクチン(FLワクチン)によれば、その接種後九八パーセント以上に抗体価の上昇が認められ、ほぼ自然罹患をした場合と同等の免疫が得られるものと考えられている。

(3) 副作用の面においては、従前用いられていた不活化ワクチン(Kワクチン)と生ワクチン(Lワクチン)の併用法(KL法)によれば、Kワクチンにより被接種者が感作されたり、異型麻疹が生ずる可能性があること、そしてKワクチン接種による免疫のためLワクチンがつかない場合があるという指摘がなされ、それらの点を回避するためFLワクチンが用いられるようになつた。

(二)  右によれば、一般的に言つて、現行のFLワクチンによる予防接種は、麻疹罹患の予防について、相当程度の実効性を有しているものと認められる。

3  哲生にとつて、麻疹の予防接種をすることが禁忌であつたかどうかについて

(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

(1) 医学書院刊「予防接種」第二版には、麻疹ワクチンの禁忌として、ステロイドホルモンの投与などを受けていて抵抗力の変化している者を挙げているが、右文献は、KL法を前提としたものである。

(2) 丸善株式会社刊「改訂二版日本のワクチン」(昭和五二年発行)には、もし禁忌事項に該当する小児をそのまま放置しておけば、自然麻疹に曝露する危険が強く、かつ麻疹の自然感染をうけた場合には重篤な合併症を併発するおそれがある場合で、禁忌が解除される見込みが当分ない場合は、医師としては、医師の十分な監視下にワクチン接種を行うべきである。その場合は、自然麻疹に感染して起こる重篤な合併症に比べれば、ワクチン接種の場合は、弱毒であるだけその臨床反応は軽く、かつ安全に経過することが予想できる旨、記載されている。

(3) 「感染・炎症・免疫」八巻三号(昭和五三年発行)には、麻疹ワクチンの特別な禁忌はないが、生ワクチンであるので免疫不全症候群、白血病、ステロイドや免疫抑制剤使用中の患児など免疫産生低下を疑う症例は避けておくこと、と記載されている。

(4) 金原出版株式会社刊「小児の予防接種<小児科MOOK二三号>」(昭和五七年発行)所収の喜多村勇著「免疫不全と予防接種」には、免疫不全児に生ワクチンを接種する場合、それにより全身感染、永続感染をきたす可能性、すでに永続感染を受けている可能性のある病原体との二重感染になることがあるということ、接種によつて抗体の獲得が十分のぞめるかという点を考慮すべきであるが、右の点を心配して接種をとり止め自然感染を起こさせると良いとは言えず、自然感染による発症重篤化とのバランスを考慮すべきである。そして免疫不全児の生ワクチン接種は、現段階では整つた施設で行うことが必須であると考えられる。また免疫不全児は病因の慢性的撤布者になる可能性があるという意味では、個人防衛的な意味に加えて集団防衛の一環としてもワクチンを工夫しながら接種する必要がある旨、記載されている。

(5) 株式会社近代出版刊「予防接種の手びき」第四版(昭和五八年発行)には、麻疹のワクチンについて、免疫不全状態が想定される場合は、他の生ワクチンと同様に禁忌となる旨、記載されている。

(二)  右によれば、哲生のような免疫不全児にとつて、麻疹の生ワクチンを接種することは、様々な危険性をはらむものであるが、FLワクチンの導入に伴つて、右危険性と自然感染の場合の危険性とのバランスを考えて接種の是非を決すべきであるとの考え方も登場してきており、本件当時においては、免疫不全であること、ステロイド療法を受けていることが、麻疹ワクチン接種の絶対的禁忌であるとまでは言うことができなくなつていたものと認められる。

(三)  しかしながら、免疫不全児等に対するワクチン接種を肯定する右の考え方も、当該患児の具体的症状に応じて、ワクチン接種による危険と自然感染の場合の危険とのバランスのうえに、医師の裁量的判断で接種の是非を決すべきという趣旨であると考えられるので、右の考え方に立つたとしても、免疫不全児の診療にあたる医師は当然に予防接種義務を負うものと解することはできない。

(四)  証人箕輪富公、同金田吉男の各証言によれば、箕輪、金田両医師は、哲生に対する麻疹の予防接種は禁忌であると考えて、それを実施しなかつたことが認められ<る。>

(五) そこで、箕輪、金田両医師の右判断が前記麻疹予防接種の是非についての医師の裁量の範囲を逸脱しているものかどうかについて検討するに、前記のとおり、哲生のエヴァンス症候群の症状は重いものであつたこと、本件以後ではあるが、FLワクチンが実施されるようになつた後も免疫不全児には禁忌であるとする文献が出版されていること等に照らせば、右両医師の判断が裁量の範囲を逸脱していたものとは認められない。

4  以上によれば、原告らの麻疹予防接種実施義務違反の主張は失当であると言わざるを得ない。

八院内感染防止義務違反の有無について

1  哲生の被告医院内における麻疹感染の有無について

(一)  原告悦子は、次のように供述し、原告隆も、昭和五四年二月二一日に、原告悦子から右供述内容を聞いた旨供述している。

(1) 昭和五四年二月二一日、原告悦子が哲生を連れて、被告医院に行き、定期診察を受けた後、被告医院の廊下で会計と投薬を待つていた際、顔に発疹の出た乳幼児を連れた女性のそばを通りかかつた。

(2) そのとき、右女性と立ち話をしていた被告医院の阿部医師が、その乳幼児の発疹について、これは湿疹ではなくはしかであると言つた。

(二)  そこで、右の各供述につき検討するに、証人金田吉男の証言及び原告悦子本人尋問の結果によれば、確かに第三回入院後の金田医師による事情聴取において、原告悦子が右供述と同内容のことを金田医師に告げていることが認められるけれども、他方証人金田吉男の証言によれば、原告悦子が金田医師に対して右の内容の話をしたのは、金田医師が麻疹感染の心当りについて何度も繰り返し尋ねた後になつてのことであることが認められる。

(三)  また、後記認定のとおり、原告らは、哲生の第一回入院中、既に、箕輪、金田両医師から、哲生のエヴァンス症候群について、感染症にくれぐれも注意するよう指示されており、原告らも麻疹が感染症の一つであることを知つていたと認められるにも拘らず、原告らが、昭和五四年二月二一日より後の診察日(三月七日、三月一〇日)において、箕輪医師に対し、前記供述内容の事実があつたことを告げたと認めるに足りる証拠はない。

(四)  証人箕輪富公の証言によれば、箕輪医師は、被告医院小児科の医局員数名の手を借りて、二月二一日の前後に来院した患者のカルテを調べたが、麻疹のような急性感染症に罹患している者は見出せなかつたことが認められる。

(五)  以上によれば、前記(一)の原告らの各供述は採用することができず、他に哲生が被告医院内で麻疹に感染したと認めるに足りる証拠はない。

2  以上の次第で、哲生の被告医院内における麻疹感染の事実が認められない以上、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの院内感染防止義務違反の主張は失当である。

九ガンマグロブリン投与のための告知義務違反の有無について

1  麻疹におけるガンマグロブリンの実効性について

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  麻疹に感染してから一定期間内(前掲「小児の予防接種」所収の早川浩著「免疫グロブリン製剤による感染症の予防」及び株式会社南山堂刊「小児感染症学」(昭和六〇年発行)によれば六日以内、同社刊「内科書」中巻によれば七日以内)であれば、ガンマグロブリンを一定量(「免疫グロブリン製剤による感染症の予防」によれば、五〇mg/kg以上、「内科書」によれば約三〇mg/kg、「小児感染症学」によれば筋注用ガンマグロブリン〇・二ml/kg)投与すれば完全予防が可能であり、その四分の一ないし二分の一の量により軽症化が可能である。

(二)  しかし、右期間を超えると、予防効果はなく、感染から九ないし一一日の間に大量投与した場合に、多少の軽症化がみられることもあるが、一般的に治療としては無効である。

(三)  ガンマグロブリンによる麻疹予防も、その有効期間は一か月内外であつて、永続的な免疫を付与するものではない。

(四)  また、ガンマグロブリンを定期的に投与した場合には、それによつて体内に生じる抗体による免疫アレルギー反応が生じ、ショックを起こしたり、患児自身が持つている抵抗力を再生する力を抑制してしまうという副作用が考えられる。

2  右の各点及び前記哲生における麻疹予防接種の危険性に照らせば、哲生の場合、最も有効な麻疹の予防方法は、ガンマグロブリンの投与であるが、その定期的投与が前記のとおり好ましくない以上、麻疹感染の機会を早期に把握して、その一週間以内に投与することが必要となるのであつて、そのためには、担当医師に対して、麻疹感染の機会があつたことが速かに告げられることが重要であると言うことができる。

3(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 第一回入院時において、箕輪医師から原告隆に対して、特に別室において哲生のエヴァンス症候群の病状についての説明がなされ、退院時には、哲生は右疾患及びその治療の関係上、抵抗力が非常に弱つているので、感染症にかからないよう注意し、かかつたかも知れないと思つたらすぐに病院に連れてくるようにとの注意がなされていた。

(2) 第二回入院中、金田医師から原告悦子に対して、感染症にかからないよう注意し、罹患した疑いがあれば、箕輪医師に連絡するようにとの注意がなされていた。

(3) 原告らは、麻疹が感染症の一つであることを、右各説明及び注意の時点で、理解していた。

(二)  右事実及び第二回入院終了までの治療経過によれば、右説明及び注意を聞いた原告らとしては、哲生のエヴァンス症候群が難病に属し、その症状が相当程度重いものであること及び麻疹を含む感染症に罹患した場合には、更に症状が悪化するおそれがあることは、容易に理解できたものと推認することができ、原告隆、同悦子の各供述のうち、右に反する部分は採用しない。

4 以上によれば、箕輪、金田両医師は、哲生が麻疹に罹患した場合に、ガンマグロブリンの投与を有効になし得るための前提としての原告らへの説明及び注意は十分尽くしているものと言うべきであつて、右告知義務違反についての原告らの主張は失当である。

5 なお、箕輪、金田両医師は、原告らに対して、特に麻疹におけるガンマグロブリンの有効性について説明するということはしていないが、右説明の有無によつて、原告らの対応に差がでてくるというものではないのであるから、この点は、前記の結論に何ら影響を及ぼすものではない。

一〇症状悪化防止義務違反の有無について

1  前記のとおり、哲生は、昭和五四年三月七日の診察時には、当日の朝から三八・四度の発熱があり、同月一〇日の診察時には、右発熱が継続しており、箕輪医師は、麻疹罹患の徴表である発疹の出現を告げられ、また麻疹に特有のコプリック斑を発見しているのであるから、箕輪医師として、右いずれかの時点において、哲生を入院させるべきであつたと言えるかどうかについて検討する。

2  一般的に、本件のような場合、患児を入院させるかどうかという点は、当該患児の具体的症状に応じてなされる医師の裁量的判断によつて決せられるものであると言うことができる。そこで、以下においては、哲生の具体的症状に照らして、哲生を入院させなかつた箕輪医師の判断が、右の医師としての裁量の範囲を逸脱したものであると言えるかどうかという点につき検討することとする。

3  昭和五四年三月七日の外来診察時の哲生の症状と箕輪医師の判断について

(一)  <証拠>を総合すれば、次の事実が認められ<る。>

(1) 哲生は、別紙第三回入院前通院時所見記載のとおり、当日朝から発熱し、咽頭に軽度の発赤が認められたため、箕輪医師は、上気道炎の感染を疑い、それによる溶血発作の可能性を考えて、別紙投薬一覧表記載のとおりステロイドを増量し、感冒薬、抗生剤等も処方した。

(2) 右診察時に、原告悦子が二、三日前から眼脂がでていたことを告げ麻疹ではないかと尋ねたのに対して、箕輪医師は、発疹が出現しないと麻疹かどうか分からないので、しばらく様子を見て、変つたことがあれば連れてくるよう指示した。

(二)  前記各事実及び弁論の全趣旨によれば、麻疹は、コプリック斑が出現するまでは、その判別が困難であること、哲生は、別紙第三回入院前通院時所見及び同投薬一覧表記載のとおり、以前にも何らかの感染症による発熱が三度程あつたが、いずれも抗生剤や解熱剤の投与により回復し、入院に至つていないことが認められる。

(三)  右によれば、昭和五四年三月七日の診察時における箕輪医師の判断及び処置は、右時点における哲生の具体的症状が前記程度であつたことに照らして、相当なものであつたということができる。

4  昭和五四年三月一〇日の外来診察時の哲生の症状と箕輪医師の判断について

(一)  <証拠>に前記認定の各事実を総合すれば、次の事実が認められ<る。>

(1) 哲生は、別紙第三回入院前通院時所見記載のとおり、発熱が継続し、前日に発疹が現われ、コプリック斑が確認されたため、箕輪医師は、麻疹罹患を疑い、別紙投薬一覧表記載のとおり抗生剤等に加え解熱剤を処方し、発症後ではあるが何らかの効果が期待できるかも知れないと考えガンマグロブリンを筋注した。

(2) 箕輪医師は哲生が比較的元気であると考えて、原告隆に対し、哲生を家で寝かせて、その経過に注意し、変化があつた場合には来院するように指示した。

(3) 当日の哲生の検査成績は、別紙第三回入院前通院時検査成績記載のとおり、それまでの通院時の検査成績に比べれば、若干悪化しているが、別紙入院時検査成績記載の第一回ないし第三回入院時の検査成績に比べれば、全体的に良好な状態と言うことができる。

(4) 哲生は、三月一〇日から同月一二日の夕方前までは、状態にさほど変化はなかつたが、一二日の夕方から熱が高くなつてきた。

(5) 原告悦子が、第三回入院後、それまでの経過について金田医師に語つた内容を見ても、溶血発作及びそれに伴う脳圧亢進の症状である頭痛、嘔吐、顔貌の苦悶状、顔色不良、顔面の軽度黄疸は、三月一二日に現われている。

(二)  右によれば、三月一〇日の時点では、麻疹による症状は見受けられるものの、未だエヴァンス症候群の溶血発作は起きておらず、右溶血発作は、同月一二日の夕方から急激に起きたものと推認することができる。

(三)  以上によれば、三月一〇日の時点における哲生の前記具体的症状に照らし、右時点で早期に入院させておくに越したことはないとは言えても、右時点で入院させなかつた箕輪医師の判断が、裁量の範囲を逸脱しているとまでは言うことはできない。

5  以上のとおり、原告らの症状悪化防止義務違反の主張は失当である。

三月七日以降の哲生の症状の推移に照らし、原告らが、早期に入院して治療を受けていたら最悪の結果は避けられたかも知れないと考えることは、誠にもつともであり、その心情は十分理解し得るのであるが、それは結果論にすぎず、箕輪医師に過失があつたと言うことはできない。

一一以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大城光代 裁判官野崎弥純 裁判官團藤丈士)

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